2019/11/30
大手筋商店街近くにある、大光寺に来ました。
文応元年(1260年)、法然上人(ほうねんしょうにん)が開基しました。
法然上人は浄土宗を作った人で、名を源空といいます。
以前参拝した寺名の由来とのことです。
源空寺 京都伏見区瀬戸物町
本教寺が近くにあったみたいなのですが、見逃してました。
次回来たいと思います。
(20191204に参拝しました。)
本教寺 京都伏見 大手筋商店街
青山伯耆守(ほうきのかみ)が住んでいたこともあって、
当時この地域は伯耆町と呼ばれていました。
頓誉上人(とんよしょうにん)がときの伏見奉行、
小堀遠州(こぼりえんしゅう)により現在の地を譲り受けて
寛永元年(1624年)にここに移りました。
小堀遠州は大名であり、茶道が得意で建築家でもあります。
庭園の作成も出来、書物にも精通していためちゃ凄い人です。
しかし天明時代(1781年から1788年ごろ)、
本山に納めるお金を小堀政方(小堀家七代目)から
寸借の申し出があり貸しました。
貸して幾分過ぎても返済がないので催促したところ、
小堀側から名誉棄損で逆にお金を取られました。
このことから伏見義民から強い反発を受け、一揆が起こる原因となりました。
義民とは、市民の為にピンチの時には大名にも意見する百姓の人たちです。
カッコいいですね。
一揆という言葉は、小学生の時
ファミコンの一揆から知りました。