大光寺 京都市伏見区 大手筋

大手筋商店街近くにある、大光寺に来ました。

 

文応元年(1260年)、法然上人(ほうねんしょうにん)が開基しました。

法然上人は浄土宗を作った人で、名を源空といいます。

以前参拝した寺名の由来とのことです。

源空寺 京都伏見区瀬戸物町

 

本教寺が近くにあったみたいなのですが、見逃してました。

次回来たいと思います。

(20191204に参拝しました。)

本教寺 京都伏見 大手筋商店街

青山伯耆守(ほうきのかみ)が住んでいたこともあって、

当時この地域は伯耆町と呼ばれていました。

 

 

頓誉上人(とんよしょうにん)がときの伏見奉行、

小堀遠州(こぼりえんしゅう)により現在の地を譲り受けて

寛永元年(1624年)にここに移りました。

 

小堀遠州は大名であり、茶道が得意で建築家でもあります。

庭園の作成も出来、書物にも精通していためちゃ凄い人です。

 

しかし天明時代(1781年から1788年ごろ)、

本山に納めるお金を小堀政方(小堀家七代目)から

寸借の申し出があり貸しました。

貸して幾分過ぎても返済がないので催促したところ、

小堀側から名誉棄損で逆にお金を取られました。

このことから伏見義民から強い反発を受け、一揆が起こる原因となりました。

義民とは、市民の為にピンチの時には大名にも意見する百姓の人たちです。

カッコいいですね。

一揆という言葉は、小学生の時

ファミコンの一揆から知りました。