2019/11/21
長岡京にある、乙訓寺に来ました。
創建の時期はさだかではありませんが、
寺伝によれば聖徳太子が開基したといわれています。
弘法大師(空海くうかい)が親しんだ寺と言われています。
中国からの教えを日本に取り入れた人物です。
文献に乙訓寺の名前が現れるのは、
藤原種継暗殺事件の罪で早良(さわら)親王を
閉じ込めた時の延暦十年(791年)です。
早良親王は光仁天皇の皇子でありますが
皇位継承はしていなので歴代の天皇には数えられていません。
その後、弘仁二年(811年)に中国の唐から帰ってきた空海が
当寺を統括することになり、
しばらくの間在職しました。
春には、ボタンの花が満開で見ごたえマックスです。
宇多天皇の時に、一時的な天皇の宮殿とされたので、
法皇寺ともいいます。
大師堂は元禄八年(1695年)頃に、
江戸時代五代将軍綱吉の母である桂昌院が
再興され建てられました。
こちらのモチノキ(クロガネモチ)は樹齢500年です。
5月中旬から6月にかけて花を咲かせます。
ボタンの花と連続で楽しめますね。
裏門。
東門と南門から当寺に入れます。
表門のとなりに、西向寺があります。
本山は光明寺です。
伏見区羽束師にも同じ名前の寺があります。
西向寺 伏見区 羽束師
JR長岡京や長岡天満宮からは少し離れていますが、
道中にラーメン屋もありますし、エナジーは確保できます。
車でならスイスイです。
駐車場もありますよ。